「みんな同じ人間なんです」―「She is×和田彩花〜自分で選ぶこと、決めること〜」に参加して―前編
和田彩花(以下あやちょ)のイベントに参加してきた。
改めてこのイベントに参加できたことに喜びを強く感じながら
ふとした時に思い出せるように、そして取り出せるように備忘録として残しておきたいと思い、今言葉を打っている。
INDEX
- 参加するまで
- 当日
- あやちょ登場
- 懺悔
<参加するまで>
土曜日、寝る前のtwitterを眺めるいつものルーティンを遂行していると、
「She is×和田彩花」限定30人イベント開催
詳しくみるとCINRAで開催される大人の文化祭の「NEWTOW
だった。場所は多摩。
急いで地図アプリと手帳を取り出した。
その日のバイトの予定を無理をいって変えてもらい、行くことにした。
その後イベントの概要を詳しく見ていると、あやちょのお話を聞くだ
者は、「今のわたしを形作る一冊」
方同士で持ってきた本のプレゼント交換をす
申し込みフォームにも持ち寄る自分の本を説明する欄があった。なので急いで自分
の本棚を見回し一冊を選び、頭を振り絞ってそれらしいことを書いた。
バイトの人にスケジュールを変えてもらったあと、下の方にあった「抽選」
に気づいた。
私はいつも重要な情報を1つ以上見落とす。
当落がわかった後にバイトの人言えばよかったと後悔したが、
幸いにも当選し、参加することができたのでその後悔は無駄になった。よかった。
私は、アンジュルムが好きだとちゃんと自覚したのが今年の5月という、
わかのファンである。
あやちょの今までの歩みの上澄みだけを見てきた人間で、
してどのように変わってきたのかというこ
それに過去にどんなアイドルと対峙するイベントに足を運んだことがな
アイドルに「会う」という感覚が全くの未知だった。
そして私は本を読む習慣がほとんどなく、
クスと付き合いながら
そんな私が本を持ってきて紹介する???
いいのか?私が参加していいのか?という申し訳で一杯になった。
そんな不安と申し訳なさをたくさん引きずりながら会場に向かった。
<当日>
NEWTOWNは、
運動場には食べ物の出店に、
校舎に入ると都庁にある草間彌生のピアノを思い出させるピアノが
トのような人が弾いていた。
受付を済ませ、会場の教室に入るともうすでに15人ほどの参加者
かったが、男性もちらほらいた。
貼ってあったり、待ち受けがあやちょだったり。
とがなかった私にとって、
議で、浮ついた気分にさせた。
そうして待つこと20分、いよいよ、
<あやちょ登場>
いい意味でテレビと何も違いがなかった。「
「想像の100倍かわいい
一種の「みんな」の感情を抱くことを期待していた。しかし、
しかし、立体を伴ったあやちょの体は想像以上に小さかった。
わせていた。あと、
り具合には驚いた。画面のそのままで印象が変わらないが、あんな目の大きく、
小さい人は今までの人生で遭遇したことがない。
今これを書いている時も、イベントの時も「画面上とは変わらないな」
強くある。しかしそれ以上に2次元上の「あやちょ」
立体になった「あやちょ」
の人
その時はきっとその感覚に想像以上に驚いたのだろう。
最初はあやちょのトークから始まり、
詳しくは円衣めがねさんのレポを参照していただきたい
(私はアンジュルムを好きになってから円衣めがねさんのnote
た。このnoteで同じ空間にいたことを知りとても驚きました。
を参考にしていますが、
が重複している部分がありますが、それは同じ空間にいて、
いうことでご容赦ください。)
・小さいころピンクのランドセルが良かったのに、周りがみんな「
赤のランドセルを買ったこと。眠る前に「
い。。。
・今一人でアイドルをやる選択をするまでの葛藤。
選択を決意したものの、それをみんなには話せなかったこと。
少人数のインタビューの中でその思いを言葉に発して見て、
で…
・あやちょの今のアイドルに対する姿勢はそれまでのアイドルの否定ではない。
「選択肢」
いい。
「これからわかればいいですね。」と声に出していた。
・選択をするときの指針に「違和感を大事にする」ということ。
エピソード
リップシーンのとき髪の定位置がピシッと決まっていてそれをはみ
う。
しい。しかし、
と思ったという。
あやちょがよくする大きな口を開けて笑ったり、
するたびによく怒られたとも言っていた。(その場で大きく口を開けたり、いーとしかめ
たあの茶目っ気ある表情をしながら話してくれた。)
このような違和感が今の選択にもつながってい
実際アンジュルムを卒業した後の写真をみると大きな口を開けてい
せた表情の写真が選ばれていることがわかる。
アンジュルムを独立させようとしたという衝撃な告白も飛び出し
これには周りも面を食らったような反応だった。
そんなことを話していいのかと私は思わず思ってしまった。
させなかったので、
ハロプロで10何年間過ごしてきた人がハロプロから抜け出すとい
に秘めていて活動していた。
ること
だった。
その様子に面を食らいすぎて、
このことについては自分の考えを含めまた別の機会に書きたいと思う。
<懺悔>
さて、本題は後編(後日アップ予定)に飛ばし、
この部分は私の居たたまれない思いを消化して折り合いをつけるた
そのため読まなくても全く支障がない。
に移ってくださいな。
本を語るのは、時計回りのような形で順番に発表していくスタイルだった。
ょうど半分ぐらい。
自分の意見を発表する緊張と、
と思う。
私はよく泣く。昔も、今も。
幼稚園を含めすべての学校の卒業式全部泣いた。
小学校5年生の時は涙を極めたのか、
だから泣くことは大嫌いだ。泣いたら場は凍る。
たような空気のようだ。
周りに気を遣わせる。そして「泣いた人」という傷が自分ついてまとわる。
何より 公衆の面前で泣くことは、恥ずかしい。
こんなに嫌なのに涙は全く言うことを聞かない。涙は感情の高ぶりによるものだ。私から
したらあふれ出る感情をどうやったら抑えられるかなんて一切合切わからない。
まさしく生理現象だ。意志で涙を止めることなど、ほぼ不可能なんだよ!と思いたい。
案の定、発表では最初から最後まで泣いた。言いたいこと100が
ていた原稿なんて意味をなさず、
まった。
れなかった。
涙を見せたことへの恥ずかしさ。
伝えたいことが少しも言えなかった悔しさ。
泣いた時の周りの視線や雰囲気が、今でも心が刺さっていている。
終わった後せっかく多摩モノレールまで乗ってきたのだからとNE
たのだが先立つ感情は「
会えたうれしさよりも、
た
ここで、
だ。しかし、円衣さんのnoteを発見した。
恐る恐るあけると泣いてしまった人がいたという記述があった。
以下、そのnoteから引用する。
生い立ち、境遇から今の仕事のこと、自分の悩みや性格の事を話しながら、人生で
迷った時に出会った一冊や切っ掛けの一冊を紹介していった。ある人は感情の昂ぶ
りが抑えられなくなって泣いてしまったり、言葉に詰まってしまうことがあった。
でも、
そんな時もあやちょは身を乗り出してジッと見つめて優しく微笑ん で見守っ ていた。途中でこれはセラピーみたいだなと思った。
アメリカの映画やドラマで薬 物依存者や犯罪被害者の会とかで車座
になって自分語りをして、拍手で終わるやつ 。
いつも見ててピンときていなかったんだけど、 自分が似た状況に参加していて分 かった。」
あの時私はあやちょの目をみることはできなかったけれど、
あやちょは優しく微笑んで見守ってくれていたらしい。
その事実は苦々しい思い出の塊を瓦解させ、
心の高鳴り、
び向き合えうことができた。
たぶん泣き虫が治ることはないし、
でもあやちょの優しい微笑んでいたということは、ちょっぴり救われたんだ。
イベントの詳細なレポはShe isでも掲載するとのことだったので掲載される日をじっと待
ちたい。