バカいってる

これはエポックだ

「みんな同じ人間なんです」―「She is×和田彩花〜自分で選ぶこと、決めること〜」に参加して―前編

和田彩花(以下あやちょ)のイベントに参加してきた。

sheishere.jp

改めてこのイベントに参加できたことに喜びを強く感じながら

ふとした時に思い出せるように、そして取り出せるように備忘録として残しておきたいと思い、今言葉を打っている。 

 

INDEX

  1. 参加するまで
  2. 当日
  3. あやちょ登場
  4. 懺悔

<参加するまで>

 

土曜日、寝る前のtwitterを眺めるいつものルーティンを遂行していると、

眠気吹っ飛ばす文字列が、私の目に飛び込んできた。

 

 

 She is×和田彩花」限定30人イベント開催

 

 

詳しくみるとCINRAで開催される大人の文化祭の「NEWTOWN2019」の一イベント

だった。場所は多摩。

 

急いで地図アプリと手帳を取り出した。

 

その日のバイトの予定を無理をいって変えてもらい、行くことにした。

 

その後イベントの概要を詳しく見ていると、あやちょのお話を聞くだけでなく参加

者は、「今のわたしを形作る一冊」を持ってきて本について語り、最後に参加者の

方同士で持ってきた本のプレゼント交換をするという内容だった。

 

申し込みフォームにも持ち寄る自分の本を説明する欄があった。なので急いで自分

の本棚を見回し一冊を選び、頭を振り絞ってそれらしいことを書いた。

 

 

バイトの人にスケジュールを変えてもらったあと、下の方にあった「抽選」の文字

に気づいた。

 私はいつも重要な情報を1つ以上見落とす。

 当落がわかった後にバイトの人言えばよかったと後悔したが、もう遅い。

 幸いにも当選し、参加することができたのでその後悔は無駄になった。よかった。

 

私は、アンジュルムが好きだとちゃんと自覚したのが今年の5月という、にわかof

わかのファンである。あやちょがいるアンジュルムをなんとか滑り込みセーフで見た。

 

あやちょの今までの歩みの上澄みだけを見てきた人間で、彼女がどのような経験を

てどのように変わってきたのかということもわからない。

 それに過去にどんなアイドルと対峙するイベントに足を運んだことがなかったため、

アイドルに「会う」という感覚が全くの未知だった。

 

 そして私は本を読む習慣がほとんどなく、むしろ本が読めないじぶんに対しコンプレッ

スと付き合いながら今まで生きてきた。

そんな私が本を持ってきて紹介する???

 

いいのか?私が参加していいのか?という申し訳で一杯になった。

 そんな不安と申し訳なさをたくさん引きずりながら会場に向かった。

 

<当日>

 

NEWTOWNは、大人の文化祭と銘打っただけあって学校の校舎に運動場がある会場だった。

運動場には食べ物の出店に、フリーマーケットのような雑貨を売っているスペースがある。

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校舎に入ると都庁にある草間彌生のピアノを思い出させるピアノがおいてありアーティス

トのような人が弾いていた。

 

受付を済ませ、会場の教室に入るともうすでに15人ほどの参加者が座っていた。女性が多

かったが、男性もちらほらいた。よくみると携帯のカバーにアンジュルムック のシールが

貼ってあったり、待ち受けがあやちょだったり。日常的にアンジュルムのファンがいたこ

とがなかった私にとって、ほぼあやちょのことを知っているファンというこの空間は不思

議で、浮ついた気分にさせた。

そうして待つこと20分、いよいよ、あやちょが登場した。

 

  

<あやちょ登場>

 

いい意味でテレビと何も違いがなかった。「実際見るとむっちゃ顔が小さい」とか、

「想像の100倍かわいいなどといった実際会った時の感想を見すぎていたせいか、私も

一種の「みんな」の感情を抱くことを期待していた。しかし、私の目の前に現れたのは、

画面で見ていたあやちょそのものだった。

 

しかし、立体を伴ったあやちょの体は想像以上に小さかった。そして甘い香水の香りを纏

わせていた。あと、画面のあやちょそのものだったといいつつ目の大きさ、パーツの集ま

り具合には驚いた。画面のそのままで印象が変わらないが、あんな目の大きく、パーツが

小さい人は今までの人生で遭遇したことがない。

 

今これを書いている時も、イベントの時も「画面上とは変わらないな」と印象はそのまま

強くある。しかしそれ以上に2次元上の「あやちょ」和田彩花として認識していたのが、

立体になったあやちょ」を自分の網膜で認識したことで本当に和田彩花というものが私

の人生に現れたような、そんな感覚も同時に味わった。

その時はきっとその感覚に想像以上に驚いたのだろう。

 

最初はあやちょのトークから始まり、本当にいろんなことを話してくれた。

 

詳しくは円衣めがねさんのレポを参照していただきたい

note.mu

 

(私はアンジュルムを好きになってから円衣めがねさんのnoteはたくさん拝見していまし

た。このnoteで同じ空間にいたことを知りとても驚きました。イベントについての私のメモ

を参考にしていますが、補完する形で円衣さんのレポを参照させていただきました。内容

が重複している部分がありますが、それは同じ空間にいて、印象に残ることが似ていたと

いうことでご容赦ください。)

 

 

・小さいころピンクのランドセルが良かったのに、周りがみんな「赤」だったので悩んで

赤のランドセルを買ったこと。眠る前に「神様の言う通り」をやっていたという。かわい

い。。。

 

 

・今一人でアイドルをやる選択をするまでの葛藤。

 

選択を決意したものの、それをみんなには話せなかったこと。

少人数のインタビューの中でその思いを言葉に発して見て、その次に全員のインタビュー

で…という風に少しずつ言う範囲を広くしていったという。

 

 

・あやちょの今のアイドルに対する姿勢はそれまでのアイドルの否定ではない。

「選択肢」を増やすことだということ。そのうえでアイドルの定義はわかんないままだと

いい。

「これからわかればいいですね。」と声に出していた。

 

・選択をするときの指針に「違和感を大事にする」ということ。

 

 エピソード

 

 リップシーンのとき髪の定位置がピシッと決まっていてそれをはみ出すと怒られたとい

スタッフが言うにはアイドルは顔で売っているのだから隠してはだめだという理由ら

しい。しかし、あやちょは「髪を使うことでまた新しく、深い表現ができるのになぜだ」

と思ったという。

 

 あやちょがよくする大きな口を開けて笑ったり、眉間をしかめる表情についてもそれを

するたびによく怒られたとも言っていた。(その場で大きく口を開けたり、いーとしかめ

たあの茶目っ気ある表情をしながら話してくれた。)

そんな表情だとグッズの販売には使えないでしょ!と言われた。

 

このような違和感が今の選択にもつながっているらしい。

実際アンジュルムを卒業した後の写真をみると大きな口を開けているし、眉間にしわを寄

せた表情の写真が選ばれていることがわかる。

 

 

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 アンジュルムを独立させようとしたという衝撃な告白も飛び出した。

 

これには周りも面を食らったような反応だった。

 

そんなことを話していいのかと私は思わず思ってしまった。ただあやちょが抵抗一つ感じ

させなかったので、そのギャップにも面を食らった。

 

ハロプロ10何年間過ごしてきた人がハロプロから抜け出すという前代未聞のことをうち

に秘めていて活動していた。それは私たちからしても壮大すぎて飲み込むのに時間がかか

ることだ。なのにあやちょは、さらっと、するっとふと口から出てきたかのような口ぶり

だった。

 

その様子に面を食らいすぎて、面を食らったことしか思い出せない。

このことについては自分の考えを含めまた別の機会に書きたいと思う。

 

 

 <懺悔>

さて、本題は後編(後日アップ予定)に飛ばし、自分が本の紹介した体験について述べよう。

 

この部分は私の居たたまれない思いを消化して折り合いをつけるための一種の懺悔である。

そのため読まなくても全く支障がない。字を読むのがつかれた方は、ぜひここら辺で後編

に移ってくださいな。

 

本を語るのは、時計回りのような形で順番に発表していくスタイルだった。私の順番はち

ょうど半分ぐらい。

前の人の発表を聞いていくうちに、私はどんどん涙が目に溜まっていった。

 自分の意見を発表する緊張と、伝えたい内容への思い入れの気持ちががあふれていたのだ

と思う。

 

私はよく泣く。昔も、今も。

幼稚園を含めすべての学校の卒業式全部泣いた。

 

小学校5年生の時は涙を極めたのか、学校に行って毎日泣かない日はほぼなかった。

 

だから泣くことは大嫌いだ。泣いたら場は凍る。凍るってものではない。突然異物が現れ

たような空気のようだ。

周りに気を遣わせる。そして「泣いた人」という傷が自分ついてまとわる。

何より 公衆の面前で泣くことは、恥ずかしい。

 

 こんなに嫌なのに涙は全く言うことを聞かない。涙は感情の高ぶりによるものだ。私から

したらあふれ出る感情をどうやったら抑えられるかなんて一切合切わからない。

まさしく生理現象だ。意志で涙を止めることなど、ほぼ不可能なんだよ!と思いたい

 

 案の定、発表では最初から最後まで泣いた。言いたいこと1001も言えなくて、用意し

ていた原稿なんて意味をなさず、ただあやちょを含めた周りの人に困惑させて終わってし

まった。私が泣いているとき周りはうまく見られなかったし、あやちょの目も怖くて見ら

れなかった。

 

涙を見せたことへの恥ずかしさ。

 

伝えたいことが少しも言えなかった悔しさ。

 

泣いた時の周りの視線や雰囲気が、今でも心が刺さっていている。

 

終わった後せっかく多摩モノレールまで乗ってきたのだからとNEWTOWNを楽しもうとし

たのだが先立つ感情は「泣いてしまった自分に対する自己嫌悪」だけだった。あやちょに

会えたうれしさよりも、あやちょの前で晒した醜態に対する火の出るような思いが上回っ

。それが何よりもつらかった。

 

ここで、話が終わっていたらブログを書くことは傷口に塩を刷り込むどころではないこと

だ。しかし、円衣さんのnoteを発見した。

 

恐る恐るあけると泣いてしまった人がいたという記述があった。

以下、そのnoteから引用する。

 

生い立ち、境遇から今の仕事のこと、自分の悩みや性格の事を話しながら、人生で

迷った時に出会った一冊や切っ掛けの一冊を紹介していった。ある人は感情の昂ぶ

りが抑えられなくなって泣いてしまったり、言葉に詰まってしまうことがあった。

 

でも、そんな時もあやちょは身を乗り出してジッと見つめて優しく微笑んで見守っ

ていた。途中でこれはセラピーみたいだなと思った。アメリカの映画やドラマで薬

物依存者や犯罪被害者の会とかで車座になって自分語りをして、拍手で終わるやつ

いつも見ててピンときていなかったんだけど、自分が似た状況に参加していて分

かった。」

 

 

あの時私はあやちょの目をみることはできなかったけれど、

あやちょは優しく微笑んで見守ってくれていたらしい。

 

その事実は苦々しい思い出の塊を瓦解させ、その中にあったイベントであやちょに会えた

心の高鳴り、そしてあやちょとを中心とした30人ほどの空間に立ち会えたことの喜びに再

び向き合えうことができた。

たぶん泣き虫が治ることはないし、泣くことに対しての苦しさはかわらないと思う。

 でもあやちょの優しい微笑んでいたということは、ちょっぴり救われたんだ。

 

 

 

イベントの詳細なレポはShe isでも掲載するとのことだったので掲載される日をじっと待

ちたい。

sheishere.jp