バカいってる

これはエポックだ

自分だけの部屋を持つー違和感日記③ー

Netflix『SEX EDUCATION』のヒロイン、メイブ・ワイリーがヴァージニア・ウルフが好きだという場面を見ていたとき、最近ヴァージニア・ウルフの名前を聞く機会が多かったことを思い出した。

それは、昨年の後半から本屋をよく回っていたときに、ヴァージニア・ウルフの同人誌『かわいいウルフ』*1

や、エトセトラブックから出版された『ある協会』が店頭で並んでたのを見たからだと思う。

 

ヴァージニア・ウルフといえば、私にとって「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」*2という言葉が印象的だ。

 

さて、違和感日記も3回目。LINEのメモにはたくさんの違和感がたまっていく。

最初の「違和感日記」で書いた内容と共通する部分があるかもしれないが、今の世の中で違和感を「違和感」のまま持つことは難しい。難しいのにはいくつか理由があるけれど、私が最近知った言葉のなかでヒントになりそうな言葉を見つけた。

「自分自身の欲求から始めるということ。大抵、多くの人たちはその逆をする。よその誰かの欲求をさがし出し、それを実現しようとする。これが私の憎悪するマーケティングだ。」

*3

これは今年2月に出版された『エレンの日記』*4からの一文だ。

 

この文を読んだ時、蘇ってきたのは自分が「他人の目線」が内包化されて、「こんなものではいけない」と思い続けていた苦しみだった。

マーケティングに限って言えば、英会話教室の広告を見て英語のできない自分を惨めに思い、英語を話せるようにならなければと思った。社会が求める人材になるために、1年留学をしなければならないと思っていたとき。この本を持っていたら「かっこいいかも」と思いながら本を買ったとき、TVで繰り返し流れている「性格の悪い子」にならないようにと、振る舞っているとき。

欲望にとどまらず、他人の視線が内包化されて、それが自分の意志なのか、それとも「世間」が求めている意志なのかということがわからなくなることは往々にしてある。そもそも他人の視線が内包化されていることすら気づかない。そして、この世界には自分の意志を持つことを阻むものにあふれている。

自己肯定感を持とうということを繰り返す文言を見て

"今のままではだめだ"と、呪いの言葉を浴びせられ続けるこの世界で一体どうやって自己肯定感を持てばいいのか。

と白々しさがこみ上げてくる。

 

私は「違和感」を持つことは、他人の目線ではなく自分の目線で物事を判断したときに現れることだと思う。けれどその違和感を持った瞬間に自分の中の「他人」や、実際の他人に否定されることが頻繁にある。それも「違和感」を持ったことすら意識しないほどの速さでその「他人」はやってくる。

 

違和感を持つことは、他人の目線と欲望が入り交じる中で、自分だけの部屋ないし、空間をもつことだと思う。小説を書くときに自分の部屋が必要なように、違和感を「違和感」のまま持つことは自分のなかに、自分だけの部屋が必要だと思う。それも、女性は男性に比べ「しなければない」という世の中の規範が強い分、より自分の部屋を持つことは難しく、より必要とされる。違和感が、ときに無知で、危険であることもあるけれど、自分がその事に対して「無知」であったということを知るきっかけにもなりうる。

 

エレンの日記は、この一文がきっかけになり、手元に持っていたいと思った。昔、「〇〇買い」というテーマでZINEを作りたいと思ったことがあるのだが、この場合は「言葉買い」というべきだろうか。またこの計画ももう一度やり直しても楽しいと思った。

 

違和感を書く時、「違和感」なのでプラスの感情でないことが多い。また、私は瞬間的思ったことを意識的に書いている部分があるため「だが、」を入れる回数を少なくしている。

 

性別お披露目パーティーという行事をする家庭が増えているという記事を読んだ。方法は様々だが、アイシングがケーキの中に入っているジェンダーリビールケーキというケーキを使う方法が紹介されていた。色青いアイシングであれば男の子、赤いアイシングであれば女の子という。男の子→青、女の子→赤という思考回路が根強いことを実感した。というか、ジェンダーに対して厳格なアメリカでもこういう色感覚がまだ残っているのだと思った。

 

まゆゆ渡辺麻友)の引退が報じられたときに「去り際が潔かった女性芸能人」という芸能ニュースがあった。そういえば、去り際を求められるのは比較的女性が多いことに気づいた。野球選手やスポーツ選手でも去り際の話はもちろんあるが、ぎりぎりまで現役にこだわる選手も多いしそれを揶揄されるニュースは表面上では見ない。でも、女性アイドルだと長くいるだけで年齢について揶揄されることが多い。ちなみにそのニュースの見出しに添付していた写真の人物は山口百恵だった。辻ちゃんYoutubeチャンネルのコメントを見るたとき、年齢の呪縛を感じた。


【最新!】辻ちゃんの毎日メイク2020ver

あと最近嫌いな言葉が増えた。「男の料理」。Youtubeのタイトルは人から借りた言葉が多いので煽られることが多い。

 

「モテる女子は「さしすせそ」を心得ている!!」という言葉を知ったのだが、これも私が嫌悪する言葉が盛りだくさんだ。ちなみにさしすせそは、

さ→さすが!

し→知らなかった

す→すごい

せ→センスある!

そ→そうなんだ

という相槌のことで、これができる方はモテるということだ。

私は異性にモテるために生きてるわけではない!ということを真っ先に思った。

以前、自己主張が激しいということがコンプレックスで「人に嫌われない人」になるために人の話の聞き方についてのHow to本を買おうとしたことがあることを思い出した。多分その時にこの言葉に出会っていたら今でも忠実にこの教えに従っていたかもしれない。

 

朝井リョウが自身の結婚についての考えを語ったラジオ放送をひょんなことから聞いたのだが、私がまだ言語化できていない想いを朝井リョウの研ぎ澄まされた言語感覚で私が共有できる「言葉」に落とし込んでくれた。とても感動したので文字起こしがされてないかと思い検索をしてみたときに「あさい」ぐらいで一番前に「朝井リョウ 結婚」と予測変換に出てきたので驚いた。

https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/ryoasai-marry

 

 

違和感日記を書くことを決めたのは、物事の捉え方に対しての新たな視点を見つけられた高揚感によるところが大きかった。おしてこれを続けることで自分が今まで経験した苦しみの原因が言葉になって無機質に私の前に現れることが嬉しかった。だけれども、やはり違和感をブログに書くのは「自分はどうなの?」とか「どの口が言っているんだ」など、囁きが降りてくる。内容も直感的な内容であれ丁寧に書かなければ、武器として再生産してしまう危険性がある。なので思った以上に今回書ききるのに疲れた。それが少し自分でも意外だった。