バカいってる

これはエポックだ

違和感日記⑦ー違国で日記を書くー

今週から韓国に約一年住むことになりました。自分のためにです。

なのでこれからは「違和感日記」でもあり「違国日記」でもあります。

ちょくちょく自分を言語化するためにこの場所を利用して、映し出される自分の姿を見てこようと思っています。

 

①映画「82年生まれ キム・ジヨン」(ネタバレが無いように努めるが以下注意)

f:id:touasuabab224:20200823222209j:plain

飛行機で見たので途中までしかみていないが、他のものと連結できるように感想を書いておこうと思う。

小説を読んだとき、ジヨンはわたしにとって特権者側にいるように感じていた。おなじ女性というアイデンティティーを持っているが、就職活動には苦労したものの正社員の職があり、その職場で優秀と評価されていて、結婚もしている。仕事を手に入れるか、そして働ける能力があるか不安で、結婚も現実的ではない私にとってはキム・ジヨンの苦悩すら、持っている者の特権に感じてしまった。さらに、彼女の経験することはSNSで普段からよく聞く話であり、韓国特有の文化によるものがあるものの私にとっては目新しいエピソードではなかった。しかし、映画の力を借りて彼女の視線を持つことができた。

特に印象的だったのが女性の描き方だった。

ジヨンの周りには彼女の味方になってくれるかつての同僚、上司、母、姉、そしてジヨンが痴漢、ストーキングにあったときに助けてくれる女性がいた。しかしその一方でジヨンを追い詰める義母、「女の子だから」を繰り返す親戚の女性、直接的ではないものの義妹の存在も彼女を苦しめた。特にジヨンが義実家で家事をしている中、義妹一家が帰ってきて、義妹はジヨンを手伝おうとすると義母はその義妹に対して「夫の家で大変だったろうに」と言ってくつろぐように言うシーンは、女性にふりかかる苦痛はシステムによって作られていることを象徴していた。

私が小説を読んで出てくるエピソードをさして珍しく思わなかったことは、それはある意味彼女の苦悩が私にとって「当たり前」になっていた。その当たり前のために成り立っているシステムには女性の無償の奉仕を前提にしていることを映画では如実にあらわしている。「自然」で「当たり前」で「不変」のようにみえるものは、あくまでも人によって作られたシステムであり、だれかの苦痛を前提として作られていることを気づかせてくれる作品であった。「自然が一番」と言って今あるシステムを維持する側に立つことは差別する側に立つということだということを、実感を持って感じた。

小説の映像化は往々にして、小説のファンには拒否感を示すことが多いが、私のような小説では持てなかった想像力を映像という形で補完してくれるというメリットがあった。必ず最後まできちんと見たい。

そして、私は、「フェミニズム」が、この社会のシステムが不変のものではなく、何かの犠牲にした、誰かの苦しみを前提として作られているということを気づかせてくれる糸口になりうるのではないかという考えに至った。

 

この「システム」の苦しみは、女性の苦しみに限らない(しかし、今現在大きく、深く横渡っているということも事実でそれを矮小化してはならない)私にとってフェミニズムは、自分がシステムの上にたっていることを教えてくれる光、つまり糸口だった。天動説で動かない地面を歩いていると思ったら、太陽の周りも、自分自身も周り続ける地面を歩いていることを知った、それを解明したのは地動説のような積み重ねられた学問だった。

 

私は特性上、人が当たり前に出来ることが何となく出来ないという悩みを長年うっすらと感じながら生きていて、うっすらとした苦しみを持ち続けていた。しかし、その特性は往々にして障害と表されることが多いのだが、その診断がはっきりしてもモヤモヤすることが多かった。そのモヤモヤがきちんと言葉にするのに糸口となったのが「フェミニズム」でだった。私はその時までは環境が幸いして女性として生きる苦しさは殆ど感じたことがなかったのでフェミニズムを学んでも女性の苦しさは少し実感の持たないものだった(その後言葉が与えられて、徐々に内面化していた苦しみが出てくる)、男性中心にシステムが作られており、制度的に排除や被害、支配が行われているということは自身の特性を理解するのに大切な考え方で目からウロコだった。
そのように自身の苦しみは自分の中だけではなく、多くの部分が社会に原因があることを知ることで様々なことの見え方が変わり、そこからフェミニズムのような学問を通して、知ること、言葉を与えていく楽しさを知った。だから女性でなくても「フェミニズム」を知ることができる、ひらかれた可能性を確信できるようになった。


②日本語だけど、違う国の言葉

友人と電話をした。普段自分がこういうコトを感じた(つまり違和感日記にしたためているようなこと)を話した。日々連れ添っている痛みの話、自身が成長したかもしれないということを成果のようにはなす。鏡の前で演説を続けている。そこに数百人の観客がいることを信じて疑わずにいるけれど、そこには誰もいない。けれど辛さを吐き出したところでそこにいる観客に不安を伝播させるだけだ。

結局私は友人と会話をしていたのだろうか。

会話するということはどういうことなのだろうか。日本語という言語をつかって話しているけれど、私の話す日本語は、私が経験した痛み、感情、時間を伴った言葉でそれを日本語という形に仮託している。

違国日記6で槙生が朝に対して自身が書くことについて話したら、朝は「なんでそーやってわかんない言語を喋んの?違う国の人みたい」と言う。朝の言葉は、槙生が「日本語」に仮託して発した言葉で、日本語であり彼女の言葉である。だから朝には彼女の音は、表面上の意味はわかるけれど記号のように感じたのではないかという推測がたった。

文脈というよりもその人の世界と切り離した言葉は、日本語だと「ひらがな」「漢字」といった記号で構成された羅列だろうか。

ネットワークでより世界を身近になったというが、ただ切り離されて無責任に投げ出された記号だけが漂っていて、わかった気になっているだけな気がする。私とあなたの世界は同じだと言いながら、生活している。

 

ある講義で教授が「名前がないものはその世界では”ない”、存在しないんです」と言っていた。この世に「存在」する者はすべて名前があるのだということらしい。

「翻訳できない世界の言葉たち」(Lost in Translation)という本で、「木漏れ日」が紹介されていた。この概念は日本語でしか存在しないらしい。私は木から洩れた光を「木漏れ日」という言葉を持っていなかったらその光の認識していただろうか。

 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば

 

ellafrancessanders.com

原作者のサイトで発売されているこの本のポストカードがほしい。