ねむれない夜だから、ブログを書くー違和感日記②ー
今AM2時。今起きてPCの画面に向かっているということは、私は夜ふかししてしまっているということ。まぁしょうがないと思いながら冷蔵庫にはちみつとレモン果汁があることを思い出したのではちみつレモンを作ってみた。
前回、違和感日記を書くとここで宣言めいたものをした。LINEのメモには着実に私の違和感は溜まっているし、違和感だけではなく、嬉しかったものも同じようにメモしている。
前のように違和感日記を書こうという決意などももう書くことはない。ただ違和感を書き連ねるとただの悪口になってしまう気がして、躊躇する。
私自身の違和感の日記はLINEのメモにあるわけだから必ずしもここに見せる必要もない。だけど、私は自分の違和感を自分の心だけにとどめたくはない。これは私が「違和感」を表明して世の中に水面をつくる意志を持っているからだ。
その躊躇と自分の意志をせめぎ合いながらも、その作業を私は諦めたくないとふつふつしながらぶすぶすしている。(ジェンダー以外で、違和感を持てるように別の分野でもう少し知識を増やしたい)
ちなみに私はこの違和感の感度、及び表現の抽出方法の天才は朝井リョウだと思ってる。
①「1組12番 手塚国光」
この週末、テニスの王子様のミュージカル、通称テニミュの大千秋楽の配信があったので友人と同時実況をしながら楽しんでいた。小さい頃地元の図書館に30巻ぐらいあったのでよく読んでいた。子どもとは、げに恐ろしいもので「テニヌ」の数々にもなにも疑わずに全巻踏破した。
さて、配信2日目最後のシーン、おそらく大千秋楽にしかない卒業式シーンで3年生メンバーが、クラス、出席番号、名前を呼ばれて卒業証書を受け取っていく。一緒に感想を送り合っていた友人が「あれ?手塚ってなんで12番?」と聞いたので、「あ、それは男女出席番号別だからだよ」と答えた。
私はこの違和感は別の形で経験済みである。なにかがきっかけで友人と出席番号問題と話したからだ。そのメンバーでは私だけ男女別、男子先の出席番号経験者だった。
私の中学・高校は出席番号は男女別だったし、当然のように男子が先だった。なぜ男子が先なのか、女子があとなのか。これは「新郎新婦」という言葉、「男女」という言葉全てに繋がっている。
その友人とその話をしたあと「青春学園に男女差別是正勧告を出さねば」とすこし冗談めきながらもシンプルにジェンダーについて話せたことに救われた。
ちなみに休憩時間など節々に差し込まれる出演メンバーのコメント動画。おそらくこのコロナ機関中に一番聞いたであろう言葉が詰め込まれた動画たちだった。しかし、彼らこそ仕事がなくなりその後再開が一番遅くなるであろう分野に関わっている人たちだろう。その現実を一旦置いた、ペンキで塗ったような「前向き」で塗り固められたコメントを聞くのは、おそらくこのような時期でも生活が脅かされないであろう人たちの「前向き」メッセージよりきつかった。
このような分野に対する基金の紹介、署名のお願いをやんわり提示してくれるなどの工夫もあったのではないかということが頭をよぎった。
②SEXY ZONEについて
SEXY ZONEといえば、私の中では「ジェンダーについて問題意識を持っている」グループだ。確実にそれはマリウス葉のイメージである。しかし、他のメンバーもその考えを媒体に表すことに他のグループよりためらいもない印象がある。twitterの拾い画で雑誌?の企画の一つで「一日女の子になったら、何をしたい?」という質問に対して
「男性優位の社会を変える運動をしたいけど、一日じゃかわらないよね(遠い目)、水曜日限定に生まれ変わって一日中映画を見たい」
という回答だった。
前半は私にとって嬉しい言葉だったが、後半の言葉は、絶望感しかなかった。前半と後半の落差だ。水曜日限定とは、おそらくレディースデイのことを指していることだろう。レディースデイというのは女尊男卑理論を振りかざす人にとって大事な根拠だ。その背景をかざしてみれば、前後半の構成はまるで富士急ハイランドのジェットコースター並みの落差である。
③「嫁」問題
「嫁」という呼称はぬるっと動悸を引き起こしてくる。
この違和感を書き留める途中で一番多く目につくのは、このような呼称問題だ。ただが言葉、されど言葉。同じように「女子力」もだ。最近instagramの素敵なアカウントを見つけた。器を紹介してくれるアカウントで前も気に入っていたようでブックマーク登録をしていた。そのアカウントの概要欄に「〇〇屋の嫁」と書かれていた。おそらく自称なので女性が運営しているのだろう。また、女性が書いているブログで、女性が好きな女性アイドルというテーマで褒める言葉として「俺の嫁」という表現があった。ぬるっとぬるっと私の心を冷やしていく。
ここで具体的に例をあげないのは、事例が多すぎてあげきれないこと、そして一般的すぎるので市井の人が使っているからだ。
⑤エマ・ワトソンの動画
信頼のエマ・ワトソン。
この動画も嬉しい内容だった。
いろんな方面に問題意識を持っているんだなぁということを強く感じる。
そこで、個人的にすごいなと思ったこと。きっと本人の意志が感じられたものが、(推測でしかない)
生理用品を隠さないところ。
様々な分野にアンテナを持っている友人にその動画の感想を尋ねたら、「本当にいろんな方面に問題意識を持っているということが伝わった」といっていた。
日本語字幕がついた映像を見ながらすこし「?」(クエスチョンマーク)が浮かんだ部分があった。
「29歳なのにこんなものを持ち歩いている」と言いながら湯たんぽをバックの中から出している場面だ。
原文はこちら。
「〇〇歳なのに」という言葉に対して額面通り素通りできなくなった私はできれば英語に精通している人にこのニュアンスを聞いてみたい。
違和感日記をブログで書くのは、自分の考えていることの道筋の一部を一部とはいえ赤裸々にさらしている感覚でいつもよりセンシティブになる。これを自分の仕事として自分の名前を看板に掲げながら発言している人たちは、毎回綱渡りの感覚をより重く感じながら生活をしているのだろう。「ヨブンのこと」というラジオ番組、5/31放送分を聞きながら、背筋に寒気を感じた。
違和感日記
コロナウイルスの影響で日記を書く人が増えている気がする。
日記は山登りの途中のような気分になるから、好きだ。今までだったら頂上からの視点でものを書いていた人もおなじ人間なのだと安心するからかもしれない。だからといって私は日記は書けない。
自分自身に向き合いすぎてしまうのか、そういう傾向がある。
でも、ずっと日記は憧れてる。実は前回も出てきた大好きなお姉さん的な友人にが3年日記を書いているという話を聞いて私も書こうとして日記帳を買ったことがある。2ヶ月は続いたがやっぱり無理だった。まぁそんな人もいるよね。と思って今はあまり気にしていない。みんな違うのだからみんな同じ形で残せなくてもいいと思っている。
さて、そんな私がここで1つ違和感日記というのをつけてみようかと思った。
最近自分の国についていっぱい考え、そして辛くなってすべてを閉じようとしていながらそれではだめ、現実を見なければとずっと思ってきた。今までは私の考えのほうがおかしかったのにそれがおかしくなくなってきたなんてそんな悲しいことはないなぁと地味にそれに傷ついてきた。(今思えばそうではない人はいっぱいいたが)
でも逆にそういう人をすごく見たからこそなんか、自分の中で思うところがあった。
何ができない、これができない、悪いところを見つけては嘆くことを見るのがどんどん自分の場所が削られてる気がしたのだ。
でもそんな急がなくてもただ現実で自分の中だけで消化できたらどうだろうと思って自分の生活の中の感じている政治的だったり、フェミニズムの文脈、自分の中の違和感を全部書き留めたらいいのではないかと思った。
いつもこれは嫌だなと思っても、嫌でもこんなこと違和感を持つのはあまり良くないことかもしれないと、すぐ他の人の誰か、普通の感覚に寄せていこうと思ったのだが自分の場所をなにかに寄せるより、傾いてるほうが私はいいなと思った。だから、見たもので嫌だと思ったら、違和感を持ったらその瞬間の立場のまま自分のメモ用のラインにかきとめている。これを全部直そうとすぐ思うのではなく、ただ無機物のような現実としてある一定の位置においておくということをしようと思った。そして、螺旋階段のように誰にも見られてなくてもいつかどこかに届けばいいなと思う。
これは、頂上から見たものではなくてまるで日記のような過程だとおもったので違和感日記。と名付ける。
これが思いの寄らない筋道にいくと嬉しいなと思ってる。
思えばKpop、宝塚は瞬間的に恋に落ちたけど、ハロプロやフェミニズムはいくつかの階層が重なって重なってまるで螺旋階段のようにぐるぐるしながら好きになったなぁと思っているから、そんな存在の一つになればいいなと思う。
文脈的には、フェミニズムが多いと思う。
それだけ、日本語で情報を摂取すれば違和感を覚えてしまうということがあるのだという裏返しだ。(こういうのも私が他の人の文として読むとなかなかきつい)
違和感日記。
思いがけず私が敬愛するヤマシタトモコさんの違国日記とタイトルが似てしまった。
自分の感覚を、違和感を否定するのではなくためていく日記である。
そう決意してすぐテレビをたまたまつけたら目に入ってきたもの。
デキ女という言葉からまず嫌悪感だが、それをするために手芸のレベルを上げるという内容だった。なぜ、デキ女を目指さなければいけないのか、そしてそれが手芸なのか、そして、手芸を紹介するときに女という言葉を使う必要が果たしてあるのか。
アコムのCMで、この人が主で助手が女性の佐藤さんという人だった。この逆は絶対ありえないんだろうなと思った。
アンジュルムのりかこ(佐々木莉佳子)がインスタを始めた。大好きで本当に嬉しい。
すっぴんを「自分のすっぴんが好き」という文と一緒に載せてくれて嬉しい。でも、どうしてすっぴんで失礼します。っていう1文が当たり前にあるんだろう。すっぴんの写真は謝らなければいけないのだろうか。それが礼儀だとされているってどうしてだろう。
こうやって、私は筆跡のようなものを自分で見つめられるように書きたい。
ハロプロ 加入時のスタイル
これ最近気づいたんですけど、ハロプロネタです。2014年のモーニング娘。12期 以降新メンバーや新グループ結成の際に絶対何かしらで「白」のワンピースを着て新人らしさをアピールするっていう戦略をとっているんですよね。(全部ではないですが、明らかにその傾向が強まっている)
そこで新メンバー及び、新グループ結成・お披露目のときどのような衣装でお披露目されたのかすごく気になったので調べてみました。
チェックするポイントは3つ
・白色か
・スカート及びワンピースタイプか
・みんなおそろいの衣装か(衣装に統一性がどの程度あるのか)
2011年
モーニング娘。9期加入
そもそもスカートなメンバーは少数派、かつ白い服を着ているのはえりぽん(生田衣梨奈)だけ。※ふくちゃん(譜久村聖)はハロプロエッグなので除く
スマイレージ 2期加入
9期よりは白が増えて、ワンピースタイプになる。しかし、カラースカートだし、まだまだ白のワンピースとは違う。より一人ひとりの違いを強調している。
モーニング娘。10期加入
一人ひとりの名字の頭の漢字を採用したTシャツに、白いショートパンツ、白いスニーカーで画一化かつ白部分が増える。
2012年
モーニング娘。11期加入
小田ちゃんは完璧にステージ衣装。もともとハロプロエッグからの加入だったし、公開ゲネプロでのお披露目だったからという理由もあると思うけど、ワンピース型ではあるが白くはない。
2013年
Juice=Juice 結成
ハロプロ研修生がメンバーになるのが大部分だったので、ハロプロ研修生の衣装がそのままというパターン。研修生ではない宮崎由加は白のトップスに青のスカートという出で立ち。
ここまでは、スカートに統一したり、みんな同じ衣装を着ているとかはあるんですけど、みんな白いワンピースっていうのは一切ないんです。
2014年
モーニング娘。14に12期メンバー加入
ここで一気に「みんな同じ(似たような)」「白い」「ワンピース」になるんです。
そしてこのオーディションからつんくさんが関わらなくなります。
3期メンバーの加入ですが、これは既存メンバーが白で統一、新メンバーは「みんな同じような」「黄色」の「ワンピース」です。
上が「結成」で調べて出てきた画像で、下が「お披露目」で出てきた画像。
しかし、これは上は「スカート」ではあるが私服っぽく、下はみんなおそろいではあるが、里山里海イベントのTシャツという衣装。
2015年
結成で調べたら出てきた写真。
全員白色で多分全員スカート。これだと宣材写真じゃんって思われると思うんですが
カントリー・ガールズ、アンジュルム新曲公開!新ユニット発表、ハロコン MC:矢島舞美・藤井梨央・広瀬彩海【ハロ!ステ#99】
冒頭からもわかるように、「白色」で「ワンピースタイプ」でかつほとんど全員同じような衣装だということがわかります。
つばきファクトリーは正直、とてもデビュー過程が複雑でパッとこれ!というのがでないんですが...
上は結成がメンバーに伝わったときの写真。下はおそらく宣材写真。
この下の写真でひとまえで立っている映像を探してもわからなかったです。
しかし、ともかくこぶしと同じようなパターンの宣材写真です。
カントリー・ガールズ新メンバー加入
お披露目のときに新メンバーが「白色」の「ワンピース」でお披露目していることがわかります。
アンジュルム新メンバー加入
アンジュルム一人加入のかみこ(上國料萌衣)のときも白いワンピースという出で立ち。
2016年
アンジュルム新メンバー加入
加入が発表されたのは、ハロステというハロプロの番組内でその時は白いワンピースだったのですが、お披露目のときはすぐパフォーマンスをするためか次々続々の衣装でした。
つばきファクトリー新メンバー
アンジュルム、つばき新メンバー、カントリー告知、こぶし・つばき頭の体操、モー娘。'16リハ、中島ヘアアレンジ MC:生田衣梨奈・上國料萌衣【ハロ!ステ#182】
つばきファクトリーはちょっとメジャーデビュー前のメンバー増加でちょっとわけが違うのですが、やはりお披露目のときの衣装は、みんなおなじ白いワンピースタイプみたいです。それもテニスのときの衣装みたい。
2017年
ここはすごい新メンバーが加入される。しかし、その半分はカントリー・ガールズとの兼任の発表である、かつ異例の人事であったためお披露目というのがなかなか見つからない。
なので、省略
2018年 アンジュルム、新メンバー加入
ここからは記憶に新しいアンジュルムのメンバー加入
やっぱり既存のグループに、複数のメンバーが加入(例外あり)の場合は白いワンピースでお披露目というのがテンプレな気がする。
あ、でもちょっとワンピースが統一ではなくてちょっとそれぞれ違うワンピースになった気がする。
2019年
Juice=Juice新メンバー加入
ハロステのサプライズが結構印象的だったのでお披露目のイメージがなかったのですがちゃんとやっておりました。白ワンピースに白いパンプス。
だけどちょっと結構型がちがう。
モーニング娘。20、15期加入
これは完璧にお披露目がしっかりされていたのでわかりやすかったですが、白いワンピース、(あ、あと白いパンプス)というパターンでした。
アンジュルム新メンバー加入
ちょっとこのアンジュはメンバーの入れ替わりが激しくてお披露目という概念があまりないので割愛。ついでにBEYOOOOONDSもなんか変則的すぎるので割愛(要するにめんどくさい)
<結論>
2014年以前の12期お披露目以前はほとんどその時の状況に合わせており、ワンピースでもなかったし、白いわけでもなかった。だけれども、12期加入以降は白いワンピース(あと、白いパンプス)でお披露目が結構テンプレ化してるな〜という印象。
なんで、これに注目したかというと新人=フレッシュというイメージで「白い」「ワンピース」=女性性を引き立てる衣装をあてがうこと、そしてそれがどの人も同じ画一的な衣装であることはすごく気持ち悪さを感じました。
その時その時で変化してもいいし、一人ひとり違っていい。
明らかにかえでぃーとかは白いワンピースよりズボンのほうが似合うでしょ!と思います
私はハロプロは前回の記事でも書いたように他のアイドルに比べ女性が欲をもって人間として活動しているイメージがあってそれを受け取っています。だから好き。
それと逆を行くようなことはしてほしくない。
つんくさん時代を知らない私にはかんたんに比較することはできないけど、やっぱりそういう傾向は明らかに狭くなっていること、それが一番の懸念です。
ただが衣装、されど衣装。
以上、加入時スタイルのまとめでした。
自粛生活②ープラトニック・プラネットー
さて、自粛生活とも呼べる家引きこもり生活。
良い部分と悪い部分があぶり出される中でたくさんの自分の中の変化を見つけることができるようになった。
今まで半年に一度しか会えなかった憧れのお姉さん的な友人にもリモートでお話することができて嬉しかったり、、でもその反面すごく会いすぎてしまっているのではないか、迷惑になってはいないかという思いが溢れたり...いっぱい、たくさん、感情が溢れてくる。
比較的落ち着いて、充実した毎日を過ごしていたのだが、どうしても閉塞感、なにかそこのしれない深い波に飲まれた 。
そんなとき昨年12月にいったJuice=Juiceの代々木公園の映像が目に飛び込んできた。
実際公演で目にしたことは今でも鮮明に覚えている、それほど感動したことをよく覚えているがあのとき感想を書こうと思ったが、まだ言葉にできず今も下書きのフォルダにある。
あのときのJuice=Juiceのパフォーマンスは非の打ち所どころか、私が想定するライブを何段階も超えてくるライブパフォーマンスに、背筋に冷たさを感じるほどだった。
アンジュルムのライブに初めていったライブもそうだが、なにか自分の中の脳天を突き抜けられたものは、たとえあとから映像を見るとその感動が鮮明にフラッシュバックする。
アンジュルムックの編集長のお二方が、なにかのインタビューでアンジュルムのことを「表現者として自分を発信する立場の彼女たち」と言ったことに新鮮さを覚えたのだ。
私はこのことを忘れていて、そして自分たちに置き換えても毎日生きていくなかで忘れがちだ。彼女たちは歌とダンスで自分自身を表現し続けている。誰かのためにではなく自分のためにパフォーマンスをしている。
そして、私はそういう彼女たちを見て力をもらってきたし、今日も救われた。
彼女たちが、自分を表現したいというという願いが叶う「場所」が用意されていてほしいと思う。
Juice=Juice プラトニック・プラネット ( プラプラ )
引きこもりプレイリスト
幸いに、Stay Homeできる環境で、もうかれこれ一ヶ月徒歩以外の交通手段を使っておらず、かれこれ一ヶ月友人、知人、家族に至るまで一人も会っていません。
しかし、正直なところ私は根っからの引きこもり体質。こんなに自分が心地がいいと思う人以外に会わなくていいのが楽だとおもわなかったです。(将来も、世界も、その先の未来は置いといて)私のこの20平米ほどの空間の今は、困っていません。(短絡的な思考のみ限り)
しかし、小さな画面から毎日毎日自分が進んでほしい方向とは真反対にエンジンを切る人々の多さに絶望しつつ自分が社会の構成員としてどう関わっていいかということを考える機会にもなっています。
大学を期に上京し、今は一人暮らしです。東京は便利で少し歩けば美味しいごはんもテイクアウトで帰るし、電車に乗らなくてもほとんどの用事は済むし。
だし、一人暮らしも楽です。誰にも怒られない。誰にも干渉されない。ただただ自分の好きなことをすればいい。自分のペースで。このストレスのなさは以上、かつ私の置かれている環境はあまりにも恵まれていて毎日TVのニュースを見て現状を追わなくてもいいし、知らなくても今は困りません。
だけどなんだろう。自分自身が削られていく感覚が強く強くのしかかってくる感じがします。
それも本当に知らないうちに。
どんどん自分の生活を整えなくなる。ご飯、掃除、洗濯、お風呂、睡眠、基本的に生きるために必要なことが限界まで下がっていく。
そして、集中力が以上に低くなりなにかをやろうという気力がなくなる。
それに気がついたのは、韓国語の勉強を30分も集中してできなかったときや、とにかく考えられないからずっと布団に寝ている自分に嫌悪がさして無理やり外にでて歩いたあと、ものすごく集中して韓国語が勉強できたんです。(スマホはいじりながらだけど、それでも)
いつのまにか集中できなくなることに実感し、そして自分が少しずつ少しずつ集中のキャパだったり自分の生活を構成できなくて、頑張ることができなくなっていることを実感しました。多分一人暮らししてから気づかないうちに気づかないうちにそうなってんだろうなぁと。。
引きこもりのときに結構新しい曲に出会ったり、リバイバルでもう一度感慨深さがこみ上げてきた曲が会ったので今日はそれをあげようと思います。
①Everyday I Love You/LOONA Vivi
[MV] 이달의 소녀/ViVi (LOONA/비비) “Everyday I Love You (Feat. HaSeul)”
K-POPのプレイリストを聞いてたときに見つけた曲。LOONAは最初の方は追っていたけど最近は全然見てなかったので、こんな良曲があったんだっていう驚きがありました。散歩のときに聞くのがおすすめ。
②숙녀(Lady)/Yubin
Niji Projectをちょくちょく耳にすることが増えたときに、ある参加者が歌っていた曲。
私は、あういうサバイバルな世界を見るとリアルで精神的不調を来すので見れないのですが、パフォーマンスなどで、新しい曲を知ることができるということと、参加者のそのときにしか見えない閃光みたいなものを感じれるのでパフォーマンスだけ見ることが多いです。(そしてそれが醍醐味)ラストフレーズの「忙しい女だから」のところの表情が好き。
コメントで80年代とか、シティポップとか、竹内まりや等のコメントをよく見かけてたのですがそうなんですか??
③I Just Wanna/ Amber,feat Eric Nam
[KCON LA] Eric Nam&Amber-I JUST WANNA 160809 EP.486ㅣ KCON 2016 LA×M COUNTDOWN
これは、f(x)”Good Bye Summer”を英語版にしてアレンジした曲です。原曲が死ぬほど好きな私ですが、この曲は全く知らなかったです。f(x)のバラードってなんでこんなに心に染みるんだろうと思うのと同時に、キーが低くするだけでこんなに曲の印象が違うんだっていう感覚がします。アンバーの歌う姿が好きなのでそれも見れるのもポイント。
④Drive It Like You Stole It/Sing Street
Hudson Thames - Drive It Like You Stole It (Official Video)
映画Sing Streetの挿入曲です。映画の挿入曲でこんなにハマったのは初めてでその減少に自分で驚いています。青い空、緑色の芝生、若さ!!!!っていう曲ですが、そこにある儚さがあるのが好きです。友達に同じ監督の「はじまりのうた」も最高だという報告を受けたので早く見たい。
⑤The Closer/VIXX
빅스(VIXX) - The Closer Official M/V
一番VIXXに私的感情をこめていた時期にでた曲。ちょうどTWICEのTTとか、なんかむちゃくちゃ混戦な時期に出たんですよね。他の曲、及びTWICEより再生回数が伸びないもんだから気に揉みすぎて彼らの生活と将来の心配を勝手にしてたっていう(苦笑)
この曲いいよね。いいよね。みんな、聞いて!!!って思いながら再生回数を1時間に1回チェックしてたwwしかし、今聴き直すと静かで、悪く捉えると「地味」な曲だけど、だからこそむっちゃ贅沢な曲だなと思います。たくさん聞くわけではないけど、どの曲にも拾ってくれない感情を拾ってくれる、誰も見捨てない曲だと思ってます。
⑥Ending Page/f(x)
f(x) - Ending Page [Hangul/Romanization/English] Color & Picture Coded HD
はぁ〜この曲といい、②のI Just Wannaの原曲の「Good Bye Summer」が収録されている「PinkTape」。つくづく名盤中の名盤だな..と噛み締めてます。実は上京するときにすごいボロボロになっちゃってたから処分しちゃったんですよね。また買おうかな。
というわけで、「引きこもりプレイリスト」を作ってみました。
個人的に、今回のコロナは良い悪いということより、今まで見てこなかった世界がウイルスという形であぶり出されているという側面があるなと強く思います。だからもちろん人間にとっては悲劇であることは間違いないのですが、コロナよりも前にもあったけど「それは私には見えてなかっただけじゃないの?もしくは、見ようとしてこなかっただけじゃないの?」っていう感覚が強いです。
全世界が一つの問題を取り組むゆえに、各国が容易に比較できてしまうし、政治のリーダーの重要性、持ってる権力の大きさ、そして能力が無残にもあぶり出されてしまう。
桃山商事の清田さんが「無関心でいられた、考えないでいられた、怒らないでいられたという権力性」という趣旨の記事を書かれていましたが、まさにそれを痛感しています。
そして、世間的に影響力の持っている人が絶大な権力を持っていることを全く自覚することなくその権力に座ったまま武器を振りかざす人の想像力の欠如具合にも恐ろしさを覚えています。
「世界は変わったように見えてなんにも変わっていない」というどこかのコピーライターが書きそうな言葉を頭の中でぐるぐると反芻しています。
今年の10曲
2019年もあと10日。日に日に時の流れの早さを感じます。
2013年の東京オリンピックが決まった時、2020年まで「7年」という長さに驚きましたが、その2020がもうすぐ明けようとしています。7年前の私にはまさか、こんな自分に、そしてこんな世界になっていくとは誰が予想したでしょうか。
2013年に人知れずデビューした防弾少年団がウェンブリースタジアムを埋める未来が誰が予想できたでしょうか。
2013年のK-POPは、
EXO 엑소 '으르렁 (Growl)' MV (Korean Ver.)
2013年のハロプロは
スマイレージ 『ヤッタルチャン』(S/mileage[Yattaruchan]) (MV)
そんな月日の流れの早さにあがらいつつ、何万分の1にしかならないけれど、1がなければ何万にもならない一日という単位に思いを寄せながら2019を総括したいと思います。
1.「赤いイヤホン」/アンジュルム
私をハロプロの沼に落とさせた「赤いイヤホン」。
5/5のアンジュルム2019ライブツアー「輪廻転生」の中野公演の第1発目でした。
この曲を契機に私はアンジュルムック を買い
あやちょのイベントに参加しました。ライブも4回(ライブビューイングを含め)参戦しました
「みんな同じ人間なんです」―「She is×和田彩花〜自分で選ぶこと、決めること〜」に参加して―後編 - バカいってる
そして私の言語化できない苦しみが言語化される喜び、そして自分が今まで無意識という罪を犯していたことを知りました。
2.「ICY」/ITZY
JYPからTWICEの妹分として鳴り物でデビューした「ITZY」
TWICEがいないK-POPが想像できないほど、ITZYがいる以前を想像できない状態です。
友人がITZYはティーンの視線を強く意識していると言っていました。
「DALLA DALLA」で
・난 지금 내가 좋아 나는 나야
今の私が好き 私は私よ
남 신경 쓰고 살긴 아까워他人を意識しながら生きるのは勿体ない하고 싶은 일 하기도 바빠やりたい事が沢山で忙しいしMy life 내 맘대로 살 거야 말리지 마私の人生よ 生きたいように生きるわ 止めないで난 특별하니까 Yeah私は特別だから Yeah남들의 시선 중요치 않아誰かの視線なんて重要じゃない
と歌い上げ大人になりたくないと言った彼女たちの想いは「ICY」でよりポップにけれど変わらず高らかに歌い上げるます。
そして、
다들 blah blahみんな blah blah참 말 많아 난 괜찮아うるさいけど私は大丈夫계속 blah blah ずっと blah blah
引用部分は自己肯定感を表しているフレーズを抜き出しましたが、この引用部分の長さで「DALLA DALLA」と「ICY」の曲の相違が見て取れます。
「ICY」は「DALLA DALLA」に比べ歌詞で自己肯定感は強くないものの、アメリカのストリートという開放感を想起させる映像でよりポップに、そして情動を突き動かす形で「自己肯定感」を表現しました。
3.Feel Special/TWICE
ITZYのICYをイヤホンで流しながら、マンハッタンのストリートを歩くように踊ったあと、Feel Specialが突き刺さりました。temuoさんの名記事から言葉を借りると、ITZYがティーンポップならば、TWICEはその先にある自己肯定感だという。ITZYの道を一通り経験したその先にあるのがTWICEです。
TWICEにとって2019年は転換の年だと多くの人は評価するのではないでしょうか。
ずっとK-POPの中で「かわいさ」の最前線、明るさを担っておりそれこそTWICEの魅力の一つでした。しかし、魅力が確固になればなるほどそれはいつか「飽きられる」要素として変革を求められてきました。
「Feel Special」は「FANCY」で今までのイメージをガラッとかえた後の曲だった。ガールクラッシュが溢れる中で、かっこよさを表そうとしたらそれは「どこかで見た」ものになってしまう中で、TWICEが出した答えは「Feel Special」でした。
彼女らは人間の苦しさによりそい、かっこよさに人間が持つ苦しさの表現という形を取りました。
それこそが彼女たちのカラーなのだと改めて実感しました。
4.Violeta/IZ*ONE
IZ*ONE (아이즈원) - 비올레타 (Violeta) MV
「La Vie en Rose」で鮮烈なデビューを果たし、二年半の期限付きグループだからこそできる「花」というコンセプトプロジェクトの先鋒「Violeta」。
Roseときたら、Violetaですか....と唸りを入れるほどのビジュアル力。韓国のビジュアル感覚の強さを存分に享受することができました。
この曲でひぃちゃん(本田仁美)がありえないほどの後光を光らせてくれました。
そんな花プロジェクトの凄さにうちのめられ、それをもう一度体験できると期待していました。しかし、PRODUCEシリーズの投票操作疑惑が生じ全ての活動がストップ。
圧倒的なビジュアルダイレクションで輝いた彼女たちを見たかったという思いが強すぎたせいで、数日間韓国芸能界を恨みました。
しかし、人の人生がかかっていたものを商業のパワーで捻じ曲げていたことに対する怒りが検察を動かすというムーブメントが起きたということに対し、恨みと共に一種の憧れをさえ感じる部分もありました。
しかし、この動きで練習生として参加していた人たちに格差があったにしろ、その責任が彼女たちにないことは明らかです。
人の人生をエンターテイメントという見世物にすること、そして1視聴者としてそれに加担しているという問題の難しさにぶつかりました。
5.「全然起き上がれないSUNDAY」/アンジュルム
アンジュルム『全然起き上がれないSUNDAY』(ANGERME [The Sunday morning that I can’t get up at all.])(Promotion Edit)
今年は、私にとってつんく♂さんについて深く考えたので、アンジュルムのつんく曲を選びました。
11/4の横浜パシフィコ公演で初めて聞いたこの曲は、サビの盛り上がりなど一切生じないまったく起き上がらない曲です。
あやちょ(和田彩花)、りなぷー(勝田里奈)、かななん(中西香菜)の卒業、そしてふなっき(船木結)の卒業が控えているアンジュルムに対し、喪失感を埋めることができるのかと思いながら参戦したコンサートでこの曲を聴き、MVを見たとき「大丈夫だ」と無責任に言えません。しかし、力を見たような気がしました。
何よりりかこ(佐々木莉佳子)、むろたん(室田瑞希)、たけちゃん(竹内朱莉)の三人の花でうずくまる美しさを初めて見たとき、嬉しさで心が震えました。
6.一人で生きられそうってそれってねぇ褒めているの/Juice=Juice
Juice=Juice『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』(Promotion Edit)
12/4の代々木第一競技場のライブで、Juice=Juiceの歌に触れた時の感動は今までJuiceの歌を知る前の記憶を消してしまう力を持っていました。
「歌が上手い」の五文字では片付けられない声量と声の深み。
この曲は特別今年聞いたわけではなく、Juice=Juiceの凄さに打ちのめされたことを表現するために選んだ曲です。ただ、この曲のライブでの盛り上がりは凄まじくこの曲の力を自分の体験を持って知りました。
絶対またライブ行きます。(いま「プラトニック・ラブ」を聞きながらこのブログを書いてる)
7.「PAPAYA」/BABY METAL
BABYMETAL - PA PA YA!! (feat. F.HERO) (OFFICIAL)
鞘師のサポートメンバーの加入でより知るきっかけになり、大きな存在になったのがBABY METAL。
今まで「かわいいとメタルの融合」というイメージが強かったのですが、まさかこんなに大人っぽくなっていたとは...とびっくりしました。
SUMETALの印象は、以前とさほど代わりがなかったのですが、MOAMETALの大人のなりっぷりは途中経過を見ていないのもあってあまりにも急激っぷり。
4のひぃちゃん(本田仁美)でも思ったんですが、この急激な雰囲気および容姿の変化は一年を振り返っても思い出せるほど、人に強い印象を残すんですね...
これからも動向を追って行きたいです。
8.「好きかもしれない」/こぶしファクトリー
ちょっと、ハロプロ多くないか?と思ったでしょ?
多分今年はハロプロの年でした。いいえ、多分はいりませんね。
こぶしファクトリーの曲になかなか興味が持てませんでしたが、この曲で彼女たちの魅力に気づきことができました。れいれい(井上玲音)の落ちサビもしびれましたが、あやぱん(広瀬彩海)の情景を映し出す声、歌がボディーフローのようにじわじわと私を侵食しています。
そして何より、児玉雨子verの女子の性欲肯定の歌詞が好きだと思っていたが、(朝井リョウさんのラジオから)、この曲は性欲の肯定と言えるのだろうか。とまた疑問に思った。
9.「LION」/GI-DLE
(여자)아이들((G)I-DLE) - 'LION' Official Music Video
人気グループにまでサバイバル番組とは切っても切り離せない存在になりました。
しかし、「Queendom」は「露骨な対決構図に乗らず、競争相手と互いに尊重しあい、乗り越えるべきは自分自身という姿勢を示し」、「女の敵は女」「女の熾烈で醜い争い」という現代に横わたる構図を乗り越えた、新しいガールズグループの局面を反映させた時代の半歩先行くサバイバル番組でした。www.neko-kara.com
その中でも、最終局、つまりカムバック曲で私の心を掴んだのは(G)I-DLEでした。
「個別性の誇示、アーティストシップの認定などは男性アイドルグループに承認されるものとする、ガールズグループを固く締め付ける「偏見」を乗り越え、そして、ガールズグループにある枠に、個人の主体の宣言で火をつけた」
I’m a queenIt looks like a lionI’m a queen like a lionIt looks like a lionI’m a queen like a lionOoh I’m a lion I’m a queen아무도 誰も그래 そう길들일 수 없어 手懐けられない사랑도 愛も
と高らかな宣言は、私の心の内面にある願望に近い叫びの代弁でした。
10.「Une Idole」/和田彩花
【和田彩花】 Une idole 【MUSIC VIDEO】
最後の曲はひどく迷いましたが私の考えに大きく影響した点を鑑みてこの曲にしました。
「アイドル」というものを10年好きになって今年は「アイドル」というものを一度立ち返って深く考えた年だったなと思います。
大学で学んだ学問の力に加え、そのきっかけを与えてくれたあやちょの存在、そして世の中にはその問題を問うかなり悲壮的な事件にあふれており、怒りを覚えるのに時間はかかりませんでした。新しい目を手に入れ、言葉の使い方を知りました。
私の新しい目は知りたくないことまで伝えてしまいますが、それは自分自身にエポックの始まりだったと思っています。
以上が、今年の10曲です。
今年は私にとって、大きな年になりました。
ハロプロという新しいジャンルを知り、そして多くの現場に足を運びました。
そして行動量が増えた分、頭にもたくさんのことが入ってきました。
2020年は一体どんな年になるのか、その時しか感じ得ないことを10年後見返せられるようにこのブログで言葉を紡いでいきたいと思います。
<番外編>
今年は悲しい事件が2つもありました。なぜという前に「またか」と思ってしまう自分に失望しました。
私の直感
私が最初に好きになった芸能人は「少女時代」だった。
TVに映る日本の芸能界に興味を持つ前に、Youtubeで情報を手に入れる異国のアイドルを愛した。
リアルタイムで活動を追っかけたのは「The Boys」だった。
Girls' Generation 소녀시대 'The Boys' MV (KOR Ver.)
冒頭から1:07まで差し込まれるクリスタルパレス、バラの花束、そして鳩まで飛ぶ。
メンバーもピンヒールを履き、まるで女王のような堂々とした態度で自信というものが溢れたモデルウォーキング。
今まで「Oh」(チアリーダー)や「Gee」(ジーンズ)のような統一したユニフォームから脱却し、ホットパンツ、ジーンズ、スカートといった一人に合わせた衣装を着るようになった。(もちろんコンセプトに沿った衣装なので統一感はあるが、ほぼ一緒な衣装から、様々な形の衣装に変化したのはこのコンセプトからなのではないかと思う)
また今まで殴りたくなる愛嬌を披露することが多かったサニーが金髪のショートに釣り上げアイラインといったようなイメージチェンジもされた。
歌詞もとても挑発的でとにかく新鮮だった。なぜなら「私が導いてあげるcome out」なんて歌詞は今まで聞いたことがなかったから。
※The Boysは日本語verも出たんですが「ついてきて」とか相手を誘導する語彙が目立ってこういう強気の歌詞は日本語歌詞には合わないなぁと思ってました。
(「九人十色の中毒性」という歌詞もムッチャストレートって思って少し恥ずかしかった思い出が)
전 세계가 너를 주목해 全世界が君に注目してる
Bring the boys out
위풍도 당당하지 뼛속부터 넌 威風も堂々として骨の髄から 君は
원래 멋졌어 もともとかっこいいのよ
내가 이끌어 즐게 come out 私が導いてあげるcome out
세상 남자들이여 난 世界の男たちよ 私は
No.1지혜를 주는Athena. Check this out! No.1知恵を授けるAthena.Check this out
正直なことを言うとこの曲はとても好きだったが、周りの反応に過剰に反応したせいで(たくさんの情報ポータルサイトにアクセスし、ネツジンの反応全てチェックしていた)周りの少女時代の突然のイメチェンに、戸惑った意見や、「メイクが濃すぎる」といった拒否反応で、心を消耗した。
ただ私はこの曲が好きだったし、この曲をきっかけにK-POPのアイドルシーンにズブズブと足を踏み入れていった。
[111129] SNSD The Boys @ The MAMA Awards 2011 Singapore
(当時MAMAが地上波で放送してたのを、母がなぜか録画してくれました。私にとってレジェンドステージです)
さて大学に入り、日本のアイドルも好きになった。
もともと女性アイドルに対してはあまり免疫がなく48グループも見ていたし(推しは松井玲奈)、乃木坂(生駒里奈と、橋本奈々美)をはじめとした坂道グループももれなくチェックしていた。しかし、強くハマることはなかった。
決定的に日本のアイドルにはまり、いまでもライブに勤しんで行くようになったのはハロプロ、特にアンジュルムだった。
人は好きになった理由が気になるらしい。私は何度もK-POPは何度も尋ねられたことがある。その答えに私は決まって「歌がうまくてダンスもうまい」と答えていた。
もちろん好きになった理由は他にもいっぱいあったし、言語化出来ない高揚が私を支配してしまう力があったからでもある。
しかし、他の人に伝えるのにこんなにわかりやすい答えはない。なぜなら日本においてアイドルというのは実力が劣るものという意味が含まれるから。
ちなみになんだけれどデジタル大辞泉のアイドルの説明に2015年に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。2015」キャンペーンでの「アイドル」への投稿から選ばれた優秀作品の記載があったので引用する。ここからもアイドルという定義に世の中にあるアイドルのイメージを端的に表現している。
◆昭和では高嶺の花。平成では路傍の石。
◆可愛い未熟なもの。(一部抜粋)
だから、歌がうまいから好きと言う理由が通りやすいというのはこのようなイメージがあってこそなのだ。
さて、ハロプロに急激にはまるとやはりなんで好きになったかを聞かれる。
その時も対外的にわかりやすいのが
「だってハロプロは歌もダンスもうまいから」という理由だ。
もちろん理由は上記のような理由で対象が日本のアイドルではなく今でいうと秋元康がプロデュースしているグループのイメージに変わっただけだった。
でもそんなかんたんな理由じゃない。これも私にとっては言語化するのにはたくさんの時間を擁したし今も確実ではない。ただ少女時代のときと同じように言語化出来ないけれど見たとき生きた意味を感じるものだった。
歌がうまいという理由だけで好きになったのではない。と今ははっきりと違うと言える。どんなにうまくても私は「日本一スカートが短いアイドル」と銘打たれた時点で会っていたら、その子たちをまずシャットダウンしてしまったであろう。
その当時、私は「少女時代」をはじめとするK-POPのアイドルのかっこいいところがすき、であったり、逆にこういう「The アイドル」というMVや衣装が嫌いと目に見えるわかりやすい部分に好き嫌いを見出してきた。
でもずっと私はアイドルという構図にはめられていた、そのおじさん目線のプロデュース方法に対して無意識に拒絶していたのだと思う。その子たちを好きになる前にその構造に入り込まれた状態で、好きなる入り口から締め出されてしまう。
当時は言語化もしていなかったし、そもそもフェミニズムという言葉すら知らない状態であったが、その拒否感はいまでも思い出せる。
この長年のK-POPにハマった理由、そしてその後、アンジュルムにハマった理由を言語化できたのは、渡辺ペコさんのエッセイ「推しとフェミニズムと私」を読んだから。
最近河出書房新社で出版された雑誌「文藝」 2019年秋季号が大きな話題になったのをご存知だろうか。わたしは全然知らなかったが、本屋でその増補版として単行本化した「完全版 韓国・フェミニズム・日本」
という本を見つけ購入した。
1冊1600円と高かったが、購入の決め手となったのが渡辺ペコさんのエッセイだった。
渡辺ペコさんは最近「1122」という公認不倫を題材にした漫画を連載されている。
そのエッセイを一部引用する
90年代に十代を過ごした私にとって永らく『アイドル」とは女の子だったら制服風の衣装を着て”ちょっとエッチな”歌を歌ったり売れっ子のお笑いコンビに(現代の言うところの)セクハラされたりする子たちで(中略)少し後なって理解したけれど、”ちょっとエッチな”歌詞は全て彼女たちより年上のプロデューサーが捜索していたものだった。
その頃に醸成された”あの空気”は、以來ずっと芸能界に限らず日本を覆い続けていたように思う。力を持ったおじさんと無力な女の子の構図。女の子は可愛くて無知で素直で、売れっ子の男性芸能人にいじられてなんぼの空気。流行りは何度か形は変えたけど空気は同質なものだった。(中略)
関係ない自分も画面越しに見かけるだけでしんどかった。
そして渡辺さんは、BTSに沼落ちしたという。詳細はこの本をぜひ読んでほしい。
私が少女時代を好きになったのは12歳の頃だった。その当時からこの拒否感を持ち自分の趣味を選択し、そして今になってフェミニズムという学問に出会うことになった。
小さな頃からの違和感は何年かごしにその思いを代弁したエッセイに出会い、言語として自分の中で消化できるようになった。
そのような違和感を感じていたから、フェミニズムに興味を持ったのか、それとも無意識だったが、フェミニズムと触れたことで気づいたのかはわからない。
なんにせよ、私自身の選択が10年後答え合わせができたこと、そして12歳の自分の直感および、そこからずっとその価値基準において自分の好きなアイドルを選んでいたことに対し、自分の直感に対する一種の信頼感を抱いた。
さて、最近の私のブログを継続して読んでくださる方は急にフェミニズムに傾倒したという思いを抱く方もいると思う。最近の記事はほとんどフェミニズムに基づく感想が多い。
実際私自身ジェンダーという問題に触れ、考えることが多くなったし、今まで自分が言語化できなかったモヤモヤをフェミニズムという学問領域で多くの人が、言葉によって自分の気持ちを代弁してくれることがとても多かった。
全てのアイドルシーンを「フェミニズム」という観点からみるというのは、逆に自分の視野を狭めて、何か大切なものを見落としてしまう怖さも感じている。
しかし私は学問としてフェミニズムに出会い、本当によかったと思っているし、これからも継続して学んでいきたいと思っている。そしてそれを考え、学んでいく上で答えを出していきたいと思う。
そして、これは誰かに影響はされたが誰かに言われて、とか洗脳されてとかではなく自分が受け入れて選択したものなので、胸を張っていきたいと思う。